大分県少年の船ブログ

「大分県少年の船の会」が開設する少船情報ブログです。 「第44回大分県少年の翼」開催決定!

少船の10年を振り返る(9)

今日は県内ほとんどの高校で卒業式ですね。
これまで少年の船に乗船した高校3年生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。
それぞれの新しいステージで、活躍されることを期待しています。

さて、過去の少年の船をふり返るシリーズは、「第28回大分県少年の船」になります。
日程は、平成19(2007)年7月30日〜8月3日でした。

この年、私は初めて運営委員長の大役を仰せつかりました。
それまで11年間にわたり運営委員長を務めてこられた先輩から引き継ぐことになり、大きなプレッシャーを背負いました。
でも、生活係の運営委員を引き受けていただいた先輩方をはじめ、スタッフや県の事務局のみなさんのお力添えもあり、無事に運航を終えることができました。



その、運営委員やリーダーなど、スタッフを集め、チーム作りをするのが、運営委員長の最初の役目です。
4月から5月にかけて、毎日のように電話をして、お願いをしておりました。
その時だけ、携帯の電話代がプラス2万円ほど跳ね上がっていたのを覚えています。
今は、かけ放題プランや、ライン・SNSなどがありますから、連絡方法はずいぶん楽になりましたね。

総合事前研修は、初めてドームで開催しました。当時は、「九州石油ドーム」という名前でしたね。
トラックに降りたのも初めてでしたね。



本研修ですが、前半はとっても順調に進んでいました。
青空の下で開催した「ふじマリンピック2007」では、綱引き大会の優勝をめざし、気持ちの良い汗を流しました。



そして、沖縄到着後に、予期せぬ問題が!
沖縄に向けて、台風が接近しており、4日目の海水浴は難しいだろうという判断がくだされました。
役員や運営委員で緊急会議を行った結果、3日目の午前中に海水浴をして、午後は大分の塔・ひめゆりの塔の見学。
4日目の午前中に、国際通りでショッピングをして、出港というプログラムに変更することにしました。



団員たちには、天気やニュースなど、外部の情報が入らないので、ホールに全員集合して、私からプログラムの変更を伝えました。

私:「みなさんにお知らせがあります。実は今、沖縄に台風が近づいています」
団員:「え〜っ!」
私:「あさって、4日目午前中の海水浴は、みなさんの安全性を考えて、中止することにしました」
団員:「ええええええええ〜〜〜〜〜っ!!!!」
私:「それで、海水浴は明日3日目の午前中に・・・・変更します!」
団員:「いええええええ〜〜〜〜〜〜いっ!!!!!」

その時の喜ぶ姿は、今でも鮮明に覚えていますね。
ウキウキする気持ちを押さえ、生活係を中心に、海水浴の注意点を改めて確認し、班長たちに徹底指導したのは言うまでもありません。



幸い、沖縄滞在中の4日目昼までは、台風の影響もほとんど受けることなく、海水浴や平和学習、国際通りも無事に終了することができました。




どのような難題にぶつかっても、みんなの力で乗り越えていくというのが、昔から受け継がれている「少年の船の魂」ですね。

帰りの船内では、班ごとにレクリエーションで楽しむ「グループセミナー」や、ファイナルパーティーなどが開催されました。
今では、リーダーとして活躍している人も、班長で乗船していたんですね。




みんないい顔をしています。



最終5日目ですが、やはり台風の影響で、会場は大荒れでした。
当時のガラケーで撮った一枚です。



九州の東海上を通過する台風でしたので、私たちの乗ったふじ丸は、そのあとをゆっくりと追いかける状態でした。
当初の計画だった午後6時着岸を、7時着岸に変更することが、船長から伝えられました。



事務局は、県庁にいる職員に、「すべての団員の保護者に到着時間が遅れることを電話せよ」と伝えました。
家族のみなさんは、一軒一軒に電話連絡していただいたことに感謝していたということです。

当然、船酔い者が続出し、保健室では対応が間に合わず、廊下やロビーまで、収容所となりました。
子どもの「船酔い」対処法は、水分をとって休ませるしかありません。



そのようなハプニングもありましたが、少年の船は午後7時に無事に大在公共埠頭へ着岸。
暗闇の中でしたが、苦楽を共にしてきた仲間たちと、涙の別れをしました。




私が運営委員長になったこの年に、「少船ブログ」をはじめました。
5日間の様子もリアルタイムで更新でき、また、今回の台風の影響による変更にも、多くの家族のみなさんがブログで確認してくださっていましたので、大きな混乱はなかったように思います。
たくさんのコメントに、勇気づけられました。

記念すべき最初のブログがこちらです。
2007年5月20