少船の10年を振り返る(2)
こんばんは。いつの間にか2月になりました。
世の中、いろいろなことが起こっています。私の身の回りにもいろいろと。
「私は多くのみなさんのおかげで生かされている」と、忘れかけていたので、改めて思うことにしました。
さて、予告しておりましたとおり、私の少船生活、10年間の思い出をふり返ってみたいと思います。
まずは、第26回少年の船。会議や研修会の資料を綴じたファイルが見つかりました。
平成17年の春、当時、運営委員長をされていた方から、「久々に乗ってみる気はないかい?」と電話。
第15回に生活リーダーで乗船して以来、10年以上のブランクがありました。
所属している県子ども会では、団員や班長・副班長・リーダーたちを送り出していたのですが、
まさか再び自分が乗ることになるとは想像もしていませんでした。
それも、運営委員という立場で。
家族はもちろん、職場の上司や同僚にも相談し、乗船することを決意。
4月中旬、当時、県庁の少年の船を担当していた青少年学事課から、派遣依頼の文書をいただきました。
そこからは、「少船モード」にスイッチをON!
ブランクを取り戻すために、乗船経験のある県子ども会の後輩たちにお願いして、アルバムやビデオを入手。
何度も見返してイメトレを開始しました。
乗ったことがない豪華客船「ふじ丸」で展開される少年の船は、夢の世界だと思いましたね。
4月下旬に県庁で開催された「第1回運営委員会」。
社会教育のつながりなどで2人だけ知り合いはいたものの、あとはすべて初対面のスタッフ。
私でも「不安」を感じたし、それまで少年の船を動かしてきた運営委員のみなさんも、おそらく、「何者?」「大丈夫か?」と、「不安」を抱いたことでしょう。
第1回運営委員会では、何の係を受け持つかを決定することになっています。
当時の運営委員長から、「中野は何係をしたい?」と最初に訪ねられました。
私は、「レク係」と答えました。
同じ運営委員の中には、レク係を経験した人もいました。
各係とも、男女1人ずつとなっていました。
第一希望がダブりました。
「私はレクをしたい!」
これまで子ども会ジュニアリーダーで、レクをいっぱいやってきたので、自分の力を600人の前で試したいと思いました。
運営委員長の最終決断で、私はレク係運営委員に任命されました。
お相手は、少船のレクを支えてきた女性の方でした。
その方には、私にレク魂を植え付けてくださったので、今でも尊敬をしています。
というわけで、10年間も乗船するとは夢にも思わなかった、私の少年の船人生が出港を迎えたのです。
記憶をたどりながらの更新ですので、気長にお付き合いをお願いしますね。
世の中、いろいろなことが起こっています。私の身の回りにもいろいろと。
「私は多くのみなさんのおかげで生かされている」と、忘れかけていたので、改めて思うことにしました。
さて、予告しておりましたとおり、私の少船生活、10年間の思い出をふり返ってみたいと思います。
まずは、第26回少年の船。会議や研修会の資料を綴じたファイルが見つかりました。
平成17年の春、当時、運営委員長をされていた方から、「久々に乗ってみる気はないかい?」と電話。
第15回に生活リーダーで乗船して以来、10年以上のブランクがありました。
所属している県子ども会では、団員や班長・副班長・リーダーたちを送り出していたのですが、
まさか再び自分が乗ることになるとは想像もしていませんでした。
それも、運営委員という立場で。
家族はもちろん、職場の上司や同僚にも相談し、乗船することを決意。
4月中旬、当時、県庁の少年の船を担当していた青少年学事課から、派遣依頼の文書をいただきました。
そこからは、「少船モード」にスイッチをON!
ブランクを取り戻すために、乗船経験のある県子ども会の後輩たちにお願いして、アルバムやビデオを入手。
何度も見返してイメトレを開始しました。
乗ったことがない豪華客船「ふじ丸」で展開される少年の船は、夢の世界だと思いましたね。
4月下旬に県庁で開催された「第1回運営委員会」。
社会教育のつながりなどで2人だけ知り合いはいたものの、あとはすべて初対面のスタッフ。
私でも「不安」を感じたし、それまで少年の船を動かしてきた運営委員のみなさんも、おそらく、「何者?」「大丈夫か?」と、「不安」を抱いたことでしょう。
第1回運営委員会では、何の係を受け持つかを決定することになっています。
当時の運営委員長から、「中野は何係をしたい?」と最初に訪ねられました。
私は、「レク係」と答えました。
同じ運営委員の中には、レク係を経験した人もいました。
各係とも、男女1人ずつとなっていました。
第一希望がダブりました。
「私はレクをしたい!」
これまで子ども会ジュニアリーダーで、レクをいっぱいやってきたので、自分の力を600人の前で試したいと思いました。
運営委員長の最終決断で、私はレク係運営委員に任命されました。
お相手は、少船のレクを支えてきた女性の方でした。
その方には、私にレク魂を植え付けてくださったので、今でも尊敬をしています。
というわけで、10年間も乗船するとは夢にも思わなかった、私の少年の船人生が出港を迎えたのです。
記憶をたどりながらの更新ですので、気長にお付き合いをお願いしますね。