少船ウオッチ(40・ラスト)
こんばんは。みんな元気ですか?
とうとう、少年の船プレイバック「少船ウオッチ」の最終話を迎えることになりました。
心を込めてキーを打ちたいと思います。
5日目/7月29日
班別のお別れ式が終わり、団員たちは家族と一緒に車に乗り込み、5日ぶりの我が家に向かった。
その姿を見送った高校生の班長達が、お互いの健闘をたたえ合うかのうように集合し、カメラに笑顔を向けた。
つづいて、スタッフの合澤運営委員が「運営委員長、私たちもあれをしましょう」と声をかけてきた。
スタッフ集合だ。
第35回大分県少年の船の成功を祝し、スタッフみんなの努力に感謝の気持ちを込め、
「おつかれ〜〜!」の掛け声と共に、白い帽子が高く飛んでいく。
すぐさま帽子を拾うスタッフたち。あなたたちは、まだまだ先がある。
これが最後の帽子投げになる私は、なかなか一歩が踏み出せなかったのを覚えている。
長年使ってきた私の帽子は、スタッフ仲間が作ってくれた「35th」の飾りが、宝物として残っていく。
第34回少年の船まで一緒にがんばってくれた松山(旧姓:江崎)さんが、花束をくれた。
カードには「ジョーさん、長い間おつかれさまでした」とメッセージ。
「ありがとう。でも、まだリーダーたちには公表していないから、もうちょっと内緒にしててね」と、笑ったのを覚えている。
これで、35回目の夏が終わった。
620人の団員それぞれが、思い出をいっぱい抱えたまま、普段の生活に戻っていった。
そんな後姿を、5日間の航海を終えた「ぱしふぃっくびいなす」が見つめていた。
夕陽に照らされながら、微笑んでいるように見えた。
第35回大分県少年の船プレイバック「少船ウオッチ」
完
このブログを見てくださったみなさんへ
季節は真夏から真冬に移りました。
少船ウオッチに長いお付き合いをいただき、ありがとうございました。
たくさんのコメントもいただき、更新の支えになりました。
普段の生活において、見るもの、聞くもの、やることのすべてが新鮮な体験ばかりの子どもたちにとって、少年の船は「ひと夏の体験」に過ぎないかもしれません。
でも、いつかきっと、「少年の船に参加して、改めて良かった思う」と感じる日が来るでしょう。
「少年の船にもう一度乗りたい」と思う日が来るでしょう。
私は船を降りますが、少年の船を愛している後輩たちが、県内にはたくさんいます。
これが大分県にとっては「貴重な財産」であると思います。
少年少女のために、私たち大人は、これからも少年の船が継続するように努力していきたいと思います。
少船ブログは、これからも続きます。
とうとう、少年の船プレイバック「少船ウオッチ」の最終話を迎えることになりました。
心を込めてキーを打ちたいと思います。
5日目/7月29日
班別のお別れ式が終わり、団員たちは家族と一緒に車に乗り込み、5日ぶりの我が家に向かった。
その姿を見送った高校生の班長達が、お互いの健闘をたたえ合うかのうように集合し、カメラに笑顔を向けた。
つづいて、スタッフの合澤運営委員が「運営委員長、私たちもあれをしましょう」と声をかけてきた。
スタッフ集合だ。
第35回大分県少年の船の成功を祝し、スタッフみんなの努力に感謝の気持ちを込め、
「おつかれ〜〜!」の掛け声と共に、白い帽子が高く飛んでいく。
すぐさま帽子を拾うスタッフたち。あなたたちは、まだまだ先がある。
これが最後の帽子投げになる私は、なかなか一歩が踏み出せなかったのを覚えている。
長年使ってきた私の帽子は、スタッフ仲間が作ってくれた「35th」の飾りが、宝物として残っていく。
第34回少年の船まで一緒にがんばってくれた松山(旧姓:江崎)さんが、花束をくれた。
カードには「ジョーさん、長い間おつかれさまでした」とメッセージ。
「ありがとう。でも、まだリーダーたちには公表していないから、もうちょっと内緒にしててね」と、笑ったのを覚えている。
これで、35回目の夏が終わった。
620人の団員それぞれが、思い出をいっぱい抱えたまま、普段の生活に戻っていった。
そんな後姿を、5日間の航海を終えた「ぱしふぃっくびいなす」が見つめていた。
夕陽に照らされながら、微笑んでいるように見えた。
第35回大分県少年の船プレイバック「少船ウオッチ」
完
このブログを見てくださったみなさんへ
季節は真夏から真冬に移りました。
少船ウオッチに長いお付き合いをいただき、ありがとうございました。
たくさんのコメントもいただき、更新の支えになりました。
普段の生活において、見るもの、聞くもの、やることのすべてが新鮮な体験ばかりの子どもたちにとって、少年の船は「ひと夏の体験」に過ぎないかもしれません。
でも、いつかきっと、「少年の船に参加して、改めて良かった思う」と感じる日が来るでしょう。
「少年の船にもう一度乗りたい」と思う日が来るでしょう。
私は船を降りますが、少年の船を愛している後輩たちが、県内にはたくさんいます。
これが大分県にとっては「貴重な財産」であると思います。
少年少女のために、私たち大人は、これからも少年の船が継続するように努力していきたいと思います。
少船ブログは、これからも続きます。