大分県少年の船ブログ

「大分県少年の船の会」が開設する少船情報ブログです。 「第44回大分県少年の翼」開催決定!

ケーブル取材

仕事で市内各地の取材をしています。

今日は、今が旬の「いちご」を撮影しました。



国東市国見町のビニールハウスには、収穫を待つ「紅(べに)ほっぺ」という名前のイチゴが、甘い香りをただよわせていました。



先週の金曜日の職場。
国東市外の女性から私宛に電話がありました。

「国東CATVで放送した番組を見ることができませんか?」という質問でした。

たしかに、私たちが制作している番組はケーブルテレビですので、国東市内しか視聴することができません。

理由を聞いていると、思い出しました。



私たちスタッフは、おととし(H21年)の夏、国東市内に住んでいる「Yさん」を取材しました。

Yさんは当時89歳。
絵画、書道が趣味で、クリーニングの取次店を営みながら、毎日元気に過ごしておられました。
そのYさんの一番の生きがいは、「卓球」でした。

取材にとりかかる以前に、市内の卓球クラブの代表者から、「高齢でもがんばっているYさんを取材してほしい」と依頼がありました。
6月中旬、カメラをかかえ体育館におじゃますると、大勢の卓球クラブのみなさんの中に、汗を流して練習しているYさんの姿がありました。
とってもはつらつとしていて、他のメンバーのみなさんにインタビューすると、
「Yさんは私たちの模範だ。負けないようにがんばらないと!」と逆に元気付けられている様子でした。

この日、私はYさんにはインタビューせず、メンバーのみなさんにも、
「卓球クラブの様子を撮影しながら、実はこっそりYさんを追っかけてますので、Yさんには内緒に。」
とお願いしておきました。

6月末頃、市内で大きな卓球大会が開催され、Yさんも最高齢の選手として参加。開会式で紹介され、大きな拍手をあびました。
この大会でも、選手のみなさんには、「卓球大会の取材です」と説明し、Yさんを意識させないようにしました。

この会場で、その女性と会ったのです。
Yさんの実娘さんで、市外に住んでおり、この日は父Yさんの応援と見守りです。
お父さんへの思いを熱く語ってくれました。

7月下旬、再び練習の取材に行きました。
Yさんは、頭にバンダナを巻き、灰色にそまったロン毛を首のちょっと上でしばっていました。
89歳とは思えない、キレのある動き、時より見せるスマッシュ。
他のメンバーが休憩をしているときでも、転がったピンポン玉をもくもくと拾い集めていました。

練習メニューが終わると、メンバーのみなさんが大きな円を作りました。
メンバー全員から、翌日誕生日を迎えるYさんのために、大きな花束と記念品をプレゼントされたのです。
サプライズの瞬間に立ち会うことができました。

90歳を迎え、満面の笑みを浮かべているYさんに、初めてマイクを向け、感想をお聞きしました。

「ここまで生きてこられたのは、みんなのおかげ。卓球は私の一番の生きがい、元気の源と思って毎日練習を続けます。」

Yさんの挑戦は、まだまだつづくな〜と思いながら、編集にとりかかり、
Yさん宅でゆっくり話を聞いたり、若い頃の写真を見せていただきながら6分間の番組を作り、
市内のケーブルテレビで放送しました。

『卓球は元気の源〜90歳の現役選手』



今日、この番組のDVDを、Yさんの娘さんに送りました。

「ようやく見る決心がつきました」とのこと。


Yさんは昨年(H22)の夏、車を運転中に事故に遭い、他界されました。

新聞のおくやみ欄でYさんの名前を見つけたとき、驚きとショックで呆然としてしまいました。
後日、親戚の方に話を聞くと、その日も卓球の練習日だったそうです。

Yさんは、最後まで卓球を愛しておられました。


ケーブルテレビを通じて、長い人生のほんの一部だけでも紹介できたのは、良かったかなって思いました。