少年の船の思い出(1)
私と大分県少年の船との出会いは、昭和59年の夏、第5回のときでした。
小学校6年生で、初めて沖縄に行きました。今から23年も前の思い出です。
かわいい写真が出てきました ちなみに自分です。
たぶん、出港前の写真だと思うのですが、帽子は今と違ってチューリップハットです。
甲子園の高校野球応援と、少年の船といえば、このチューリップハットが定番だったんですが、いつのまにか普通の帽子に変わっていました。
乗った船は、「さんふらわあ・セブン」だったと思います。フェリーの2等客室で、雑魚寝(ざこね)状態でした。よく揺れて酔いました
今は、ふじ丸で、多くても4人部屋ですから寝やすくなりました。
でも雑魚寝の体験は、これまた貴重な思い出でしたね。
この時代は、全国各地で少年の船が開催されていました。
でも、最近は経費の問題で、事業を中止したり、現地までは飛行機を使用するように変わってきたようです。
でも、大分県だけはずっとずっと続いています。これは誇りです。
私たちスタッフは、今年の少年の船の成功を目指すとともに、来年以降も継続できるような成果を残すことが重要な任務となっているのです。がんばります
小学校6年生で、初めて沖縄に行きました。今から23年も前の思い出です。
かわいい写真が出てきました ちなみに自分です。
たぶん、出港前の写真だと思うのですが、帽子は今と違ってチューリップハットです。
甲子園の高校野球応援と、少年の船といえば、このチューリップハットが定番だったんですが、いつのまにか普通の帽子に変わっていました。
乗った船は、「さんふらわあ・セブン」だったと思います。フェリーの2等客室で、雑魚寝(ざこね)状態でした。よく揺れて酔いました
今は、ふじ丸で、多くても4人部屋ですから寝やすくなりました。
でも雑魚寝の体験は、これまた貴重な思い出でしたね。
この時代は、全国各地で少年の船が開催されていました。
でも、最近は経費の問題で、事業を中止したり、現地までは飛行機を使用するように変わってきたようです。
でも、大分県だけはずっとずっと続いています。これは誇りです。
私たちスタッフは、今年の少年の船の成功を目指すとともに、来年以降も継続できるような成果を残すことが重要な任務となっているのです。がんばります