大分県少年の船ブログ

「大分県少年の船の会」が開設する少船情報ブログです。 「第44回大分県少年の翼」開催決定!

第35回少年の船終了です。そしてご報告

本日開催予定だった「第35回大分県少年の船・総合事後研修会」は、台風18号接近のため中止となりました。
2か月ぶりに再会できることを楽しみにしていたのに、残念でなりません。

これで、第35回大分県少年の船運航事業の研修は、終了となります。


そして、
私・中野は、「第35回少年の船」をもちまして、運営委員長を引退することにしました。

たくさんのリーダーが育ってきていますので、若いみなさんに貴重な機会をゆずりたいと思います。
少年の船は、未来を担う青少年の育成です。いつまでも私が居座ることは目的に反します。
昨年からそんなことを考えており、決断をいたしました。


私と少年の船との最初の出会いは、第5回(昭和59年)でした。
小学校6年生のとき、「さんふらわぁ7」に乗って、約700人の団員と4泊5日の沖縄の船旅を初体験しました。
当時は40班ありました。

次に乗船したのは、第15回(平成6年)です。
大学生のとき、生活係リーダーとして「サンシャインふじ」に乗りました。
団員数は歴代最高の850人! 50班までありましたから、班付きリーダーだけでも25人です。
この時は、沖縄に台風が接近するということで、行き先を関西に変更し、大阪・奈良・四国の香川、中国の広島に立ち寄って5日間を過ごしました。
活動マニュアルは、2日前にすべて作り直し、全スタッフ・全団員の協力のもとで、無事に運航できました。

それからしばらく少船とは離れ、11年ぶりの第26回(平成17年)に、レク係の運営委員として「ふじ丸」に乗船。
団員は600人で28班体制が、今でも引き継がれています。

第27回ではレク係と副運営委員長を兼任。

第28回(平成19年)で、前任者である板井さんから、運営委員長を引き継がせていただきました。
3月から4月にかけての運営委員やリーダー集めに苦労しました。
「チーム板井」から「チーム中野」へ、スタッフの顔ぶれがだんだんと変わりました。

また、おおいた国体の開催を来年に控え、「めじろんダンス」が県内大流行!
少年の船のレクで、何回も何回も踊り、「めーじろん! めーじろん!」が船内に響き渡りました。
今でも、少年の船のダンスといったら、これですね!



運営委員長という重責をかかえて、早8年がたちました。
年齢は34から42になりました。
小学生だった団員が、いつの間にかリーダーになって一緒に少船を動かしていました。

これまで長い間、少年の船に乗船できたのは、私を支えてくれた多くのスタッフのおかげです。
地域や職業、年齢も活動もさまざまな大人が、「少年の船を成功させる」という強い思いで一つになりました。
第35回では、レク係のみんなが「ファイナルパーティー」や「思い出ラストレクリエーション」で、私を舞台に登場させてくれました。
実は、運営委員長は結団式と解団式を除いて、小学生団員の前に立つことはありません。
9年ぶりに「レク魂」が鼓動しました。幸せな時間でした。
多くのスタッフに会えた少年の船のご縁は、私にとってかけがえのないものとなりました。

パワーの源は、団員、班長、副班長のがんばる姿と、笑顔と泣き顔です。
研修中は、わずかな睡眠時間でしたが、朝、団員たちの笑顔を見ると、なぜかスイッチが入るんですよねっ!
下船して、班のお別れ式を眺めていると、疲れは吹っ飛び、来年もこの感動を味わいたいと思いました。


少年の船事務局である県庁私学振興・青少年課のみなさんや、県青少年団体連絡協議会の関係者のみなさんには、無理な要望や、意見をたくさん言わせていただきました。
でも、少年の船の充実のためということで、イヤな顔をせずに受け入れていただきました。

団員や家族のみなさんには、ブログを通じて、たくさんのエールを送っていただきました。
私たちスタッフにとって、みなさんのメッセージは、励ましと同時に、数字では図ることができない、少船継続のための大きな「成果・実績」となっています。

そして、私を快く送り出してくれた職場のみなさん、そして家族にも、ご理解に感謝です。
長い間、ご迷惑をおかけしました。

これからは、「応援団員」として少年の船を陰からサポートしていきたいと思います。


本来ですと、事後研修でみなさんにお礼を述べたかったのですが、中止になってしまいましたので、
ブログで報告させていただきました。

今まで、大変お世話になりました。ありがとうございました。
そして、これからも「大分県少年の船」をよろしくお願いします。


生活係、レク係、総務係、運営委員のみなさん、第33回の班長達から、アルバムやメッセージなど、とっても素敵なプレゼントをいただきました。
楽しかった少船を思い出しながら、少し涙しています。



みなさん、ありがとうございました。


追伸
最後に「みんな元気!」をしたかったです。
「晴れ男」伝説を続けてきましたが、最後の最後で、台風にやられました。